名古屋高等裁判所 昭和28年(ネ)16号 判決 1956年5月22日
控訴人 平山武男
右代理人 田中一郎
被控訴人 青山貫一
<外一名>
主文
原判決を取り消す。
被控訴人青山貫一は控訴人に対し江南市大字宮後字鳥居前四百十四番の二宅地七十坪、同所四百二十五番の二宅地百四十四坪、同所四百二十五番の五宅地九坪一合二勺の中、別紙第三目録図面AGCHIJAを連結する地域をその地上に存在する別紙第二目録記載(一)、(二)、(五)、(六)建物を収去して明け渡せ
被控訴人青山宅治は右AGCHIJAを連結する地域内に存在する右第二目録記載(一)、(二)建物を収去してその敷地二十二坪五合六勺を明け渡せ
被控訴人青山貫一は九十九坪(内十六坪五合六勺に対する昭和三十年二月二十三日以降、内六坪に対する同年六月二十四日以降の分については被控訴人青山宅治と共同して)に対する昭和三十年二月二十三日以降右AGCHIJA連結地域明渡迄一年一坪につき金六円三十四銭の割合による金員を支払え
被控訴人青山宅治は十六坪五合六勺に対する昭和二十五年十二月一日以降昭和二十七年十月三十一日までは一年一坪につき金四円二十銭、同年十一月一日以降右(一)建物の敷地明渡迄は一年一坪につき金六円三十四銭の割合による金員(内昭和三十年二月二十三日以降の分については被控訴人青山貫一と共同して)を、六坪に対する昭和三十年六月二十四日以降右(二)建物の敷地明渡迄一年一坪につき金六円三十四銭の割合による金員(全額被控訴人青山貫一と共同して)を支払え
控訴人の其の余の請求を棄却する
訴訟費用は第一、二審を通じ、之を五分し、その一は控訴人の負担とし、その余は被控訴人両名の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人両名は控訴人に対し別紙第一目録記載の土地をその地上に存在する別紙第二目録記載の建物を収去して明渡し、且つ昭和二十五年十二月一日以降右土地明渡済に至るまで一坪につき一月金五円の割合による金員を支払え。右請求が理由がないときは、被控訴人両名は控訴人に対し別紙第一目録記載の土地の内別紙第二目録記載の(三)及び(四)建物の各雨落の範囲((三)建物については土地六坪、(四)建物については土地八坪)を除いたその余の土地部分をその地上に存する別紙第二目録記載の建物の内(一)、(二)、(五)及び(六)建物を収去して明渡し、且つ昭和二十五年十二月一日以降明渡済に至るまで一坪につき一月金五円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする」との判決を求め、被控訴人両名は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は
控訴代理人に於て、控訴人先代平山常十郎は昭和七年頃被控訴人貫一に対し(イ)江南市大字宮後字鳥居前四百十四番の一畑一反二畝十八歩、(ロ)同所四百二十五番の二宅地百四十四坪(当時地目畑二畝二十四歩)、(ハ)同所四百二十五番の五宅地九坪一合二勺を耕作の目的を以つて期限を定めず賃貸したが、その後昭和二十一年九月十八日右平山常十郎死亡により控訴人がその家督相続をなし、右土地所有権を取得し、賃貸借上の権利義務を承継した。右常十郎が被控訴人貫一に右土地を賃貸した当時は常十郎は江南市(当時は愛知県丹羽郡古知野町)に居住していたが、その賃貸直後控訴人と共に名古屋市に移住するに至つたところ、被控訴人貫一は公簿上畑二畝二十四歩となつていた前記(ロ)の土地を控訴人名義を冒用して擅に宅地に変更した上、昭和二十一年十月頃控訴人に無断で右地上に別紙第一目録記載の(一)の工場を被控訴人宅治名義を以つて建築した。控訴人は同年十一月頃右事実を知つたので直ちに被控訴人貫一に対しその不法を責めたところ、同人はその非を認めて陳謝し、前記土地の内別紙第一目録記載部分の範囲(その内四百十四番の二宅地は元四百十四番畑一反二畝十八歩の一部であつたものを被控訴人貫一に於て昭和二十二年七月頃控訴人に無断で分筆をなし地目を変更し、四百十四番の二宅地七十坪に分筆登記したものである)を売却方懇請したので、控訴人は之を承諾し、昭和二十二年四月末日右土地の範囲を一反歩一万円の割合で代金四千円を以つて売買契約をなし、同時に手附金二千円を受領し、残代金は同年十二月末日までに被控訴人貫一に於いての負担を以つて実測の上分筆手続をなし所有権移転登記手続と同時に支払を受けることを約した。
然るに、被控訴人貫一は右約定期日に残代金を支払わないので、控訴人は昭和二十五年九月一日付書留内容証明郵便を以つて残代金二千円及び履行遅延による損害金三千円合計金五千円を同月十日までに支払うべく、若し支払わないときは本件売買契約を解除する旨条件付契約解除の意思表示をしたが、控訴人は右期日までに支払わなかつた。而して、被控訴人両名は別紙第一目録記載土地上に、別紙第二目録記載の(一)建物を所有する外に、昭和八年頃以後に於て(三)建物を、昭和十二年頃以後に於て(四)建物を、本訴提起後に於て(二)、(五)、(六)建物を何れも控訴人に無断で建築所有しているが、前記売買契約成立と同時に、右売買土地部分に対する従来の賃貸借契約は当事者間に於て合意解除せられた。仮りに、合意解除の事実なしとするも、被控訴人貫一は前記の如く、本件畑地を宅地に変更した上に控訴人に無断で工場物置居宅を建築し、更にその後本件訴訟中に豚小屋及び二個の物置を無断建築したので、之は賃貸借契約に反する行為であるから、控訴人は本訴に於て前記賃貸借契約解除の意思表示をなす。従つて、被控訴人等は今や控訴人に対抗し得べき何等の権限なくして別紙第二目録記載の建物を所有し、第一目録記載土地を不法に占有するものであるから、右建物を収去して右土地の明渡を求め、且つ昭和二十五年十二月一日より明渡に至るまで一坪につき一月金五円の割合による地代相当の損害金の支払を求める。仮りに、第二目録記載建物中(三)及び(四)の建物の建築につき控訴人の黙示の承諾ありとするときは、(三)の建物についてはその建坪四坪五合と之に対する雨落部分の坪数一坪五合を加算した六坪を、(四)の建物についてはその建坪六坪と之に対する雨落部分の坪数二坪を加算した八坪を除外した残りの部分の土地明渡とその地上に存在する(一)、(二)、(五)、(六)の建物の収去を求め、且つ明渡部分につき前記と同期間同金額の地代相当の損害金の支払を求める。尚、被控訴人等の主張に対し、本件売買土地の範囲は売買契約の際双方立会の上第一目録添付図面チ、ニ、ハ、ロ、イ、ホ、ヘ、ト点を実地に踏み歩き四百十四番、四百二十五番の中右の範囲と四百二十五番の五宅地九坪一合二勺を以つて売買の目的として具体的に確定したものであり、売買代金は土地実測の上、坪数に増減あればそれに従つて決済すると言う約束がしてあり、控訴人は被控訴人貫一に対し本件売買土地の分筆並びに所有権移転登記手続をなすべき旨再三請求したが、同被控訴人等は右土地の実測をしないので、控訴人に於て分筆手続をとる外なしと考え実測せんとしたところ、被控訴人等に妨害せられて実測できなかつたものである。別紙第二目録記載(三)、(四)の建物の敷地の地代は賃貸畑と区別せず農地として一反米六斗の割合による地代を受領していたと述べ、
被控訴人等は、控訴人主張事実中、被控訴人貫一が控訴人より控訴人主張の(イ)、(ロ)、(ハ)の土地を賃借したこと、控訴人被控訴人間に控訴人主張の土地につき売買契約が成立し、手附金二千円を支払つたこと、右地上に被控訴人宅治名義で工場を建てたこと、控訴人より書留内容証明郵便の送達のあつたこと、被控訴人等が残代金二千円を支払つていないこと、本件土地上に別紙目録記載の(一)、(三)、(四)の建物の存在することは認める。(ロ)の土地につき地目変更手続をしたのは、被控訴人等ではなく、控訴人であり、又(イ)の土地につき被控訴人等に於て分筆登記手続をしたことはない。別紙第二目録記載(一)の工場を建設したのは前記売買契約直後控訴人の承諾を得てなしたものであり、(三)の建物は二十五年前、(四)の建物は三十年前に何れも控訴人の承諾を得て建てたものであり、右建物の敷地の地代は賃借畑とは別に宅地年貢の地代を売買契約締結当事まで支払つて来たがその地代額は不明である。又残代金二千円の支払期日は昭和二十二年十二月末日ではなく、売買土地の分筆登記の費用負担及びその手続の履行については被控訴人等に於て之を負担するの定めはない。なお、前記売買土地は一反一万円の割合で計算して買い受けることとしたものであるが、控訴人はその土地の畝歩を確定しなかつたので、控訴人のなした本件売買契約解除の通告は無効である、と述べた。
証拠として、控訴代理人は甲第一号証乃至第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八号証を提出し、原審並に当審証人三枝与曽一、当審証人滝久義、同平山すずゑの各証言、原審鑑定人中島鎌一の鑑定の結果、当審鑑定人前田慎吾、同河田兼重の各鑑定の結果、当審に於ける検証の結果(一、二回)、原審並に当審(一回乃至三回)に於ける控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴人等は原審に於ける証人三枝与曽一の証言、被控訴人青山貫一の尋問の結果を援用し、甲第一号証乃至第三号証、第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八号証の成立を認めた。尚、当裁判所は職権を以つて被控訴人青山貫一の尋問をした。
理由
控訴人先代平山常十郎が昭和七年以前に於て被控訴人貫一に対し(イ)江南市大字宮後字鳥居前四百十四番の一畑一反二畝十八歩、(ロ)同所四百二十五番の二宅地百四十四坪(当時地目畑二畝二十四歩)、(ハ)同所四百二十五番の五宅地九坪一合二勺を期限を定めずに賃貸したこと、昭和二十一年九月十八日右常十郎の死亡により控訴人が家督相続をなし、賃貸人の地位を承継したことは被控訴人等の明かに争わないところである。
その賃貸借土地の範囲を実地につき指示せば、当審に於ける検証の結果(一、二回)によると、別紙第三目録図面ABCDEFGA点(江南市大字宮後字鳥居前四百二十五番の二地先道路端電柱(電話支一)を基点とし、之より西方へ五尺の地点をA点とし、A点より東方へ十間一尺四寸の地点をB点とし、B点より東南方へ十四間二分の地点にある石垣の交叉点をC点とし、C点より東北方へ五間の地点をD点とし、D点より東南方へ十三間の地点をE点とし、C点より西方へ十間八分の地点にある境界玉石をG点とし、G点より南東方へ二十七間一尺の地点をF点とする)を順次連絡する線内の地域であることは当事者双方の認めるところである。
而して、当審に於ける証人平山すずゑの証言、原審並に当審(一回乃至三回)に於ける控訴人本人尋問の結果によれば、昭和二十二年四月頃控訴人と被控訴人貫一とは右土地の内約四畝歩を双方に於てその範囲を実地につき確定した上売買契約をなし、その売買代金は一応金四千円とするも実測の後一反歩金一万円の割合で算出した金額を以つて確定的代金となすこと、売買土地の実測は被控訴人貫一に於てその費用を以つて之をなし、同年十二月末日迄にその分筆登記手続をなすと同時に残代金を支払うことを特約したことが認められ、之に反する原審に於ける被控訴人貫一の本人尋問の結果は措信し難く、被控訴人貫一が控訴人に対しその手付金として金二千円を支払つたことは当事者間に争いがない。右売買土地の部分はその地番から云えば、前記(イ)の土地からその後分筆された同所四百十四番の二宅地七十坪と前記(ロ)、(ハ)宅地の三筆に包含されることは当審検証の結果(一、二回)並びに鑑定人河田兼重の鑑定の結果に微し明白であり、之を実地につき指示せば、当審検証の結果(一、二回)によると、別紙第三目録図面ABCGA点を連結する地域であることは当事者双方が認めるところである。
控訴人は右売買契約は被控訴人貫一の債務不履行により解徐となつた旨主張するにつき按ずるに、当審証人平山すずゑの証言原審並に当審(一回乃至三回)に於ける控訴人の供述によれば、被控訴人貫一は右売買契約後、売買土地の内道路端より一番奥に当り、別紙第三目録図面のGC線に沿う内側の三角形になつている部分約一畝歩を不用であるからその部分の売買を取り止め、爾余の部分についてのみ売買することを求めて、約定期間内に実測をなさず、従つて分筆登記をなすの運びにも至らず、又被控訴人貫一に於て残代金を支払わなかつたことを認めることができ、之に反する原審並に当審に於ける被控訴人貫一の供述は措信し難い。而して、控訴人が昭和二十五年九月一日その主張の通りの条件付契約解除の意思表示をなし、之が被控訴人貫一に到達したに拘らず、被控訴人貫一に於て履行しなかつたことは同人の認めるところである。然らば、控訴人と被控訴人貫一間の右売買契約は被控訴人貫一の責に帰すべき事由により、昭和二十五年九月十日の経過と共に解除となつたものと言うべきである。
進んで、控訴人の被控訴人両名に対する建物収去土地明渡の請求について按ずるに、右売買土地の上に別紙第二目録記載の建物の中(一)、(三)、(四)の建物が存在することは被控訴人等の認めるところであり、(二)、(五)、(六)の建物が存在することは被控訴人等の明かに争わないところであるが、右建物の中(三)、(四)の建物は成立に争いのない甲第三号証の記載によれば家屋台帳に被控訴人貫一が所有者として記載されていること、本件土地の賃借人が被控訴人貫一であつたこと、被控訴人宅治は被控訴人貫一の長男であることから考察すれば、特別の事情のない限り被控訴人貫一が所有者であつてその敷地を占有するものと言うべく、被控訴人宅治は被控訴人貫一の家族として右敷地を占拠しているに過ぎないものと認めるを相当とし、独立の占有をなすものとは言い難い。(五)建物は建物の附属建物であるからその所有占有関係は(四)建物と同様に解すべく、(六)建物は敷地賃借人並びに買受人が被控訴人貫一であること、被控訴人宅治はその子であることからみて、特別の事情のない本件に於ては前同様被控訴人貫一が之を所有し、その敷地を占有するものと言うべく、被控訴人宅治は只その家族として独立の占有をなすものではないと認めるのを相当とする。尤も、(一)建物については、成立の争いのない甲第三号証によれば、その家屋台帳には被控訴人宅治が所有者として記載されているから特別の事情のない限り右建物は被控訴人宅治の所有に属し、同人も所有者としてその敷地に対し独立の占有を有し、土地の賃借人又は買受人たる被控訴人貫一と共同してその敷地を占有しているものと言うべきである。(二)建物は(一)建物の附属建物であるからその所有関係、敷地占有関係は(一)建物と同様に解すべきものである。
而して、土地売買契約が解除されたとき、買主がその地上に自己所有の建物を有するときは通常の場合に於ては買主は右土地を占有すべき権限を失いその建物を収去して土地を明け渡すべき義務を負うのであるが、今本件に付いて見ると、前記の通り被控訴人貫一は本件土地を売買当時適法に賃借りしていたものであるから本件売買契約成立により右土地の所有権を取得した結果、売買契約と同時に右賃借権は混同により消滅したものと言うべきである。然るに、その後右売買契約が解除となつた結果、その効力は遡及し、特別の事情のない限りは、一旦消滅した被控訴人貫一の賃借権は復活するに至るものと言うべきである。
控訴人は前記売買契約の際従前の賃貸借契約は合意の上解除したと主張するにつき按ずるに、勿論売買契約締結の際従前の賃貸借契約を解除するの合意があれば、売買契約が解除されたときに於て従前の賃貸借契約が復活するの理はないが、本件に於て賃貸借契約合意解約の事実を認むべき何等の証拠もない。
次に、控訴人は本件賃貸土地は耕作の目的を以つて賃貸したにも拘らず、被控訴人貫一は控訴人に無断で之を宅地として本件建物を建築した不法不信行為があるから之を理由として本訴に於て右賃貸借契約を解除する旨主張するにつき按ずるに、原審並に当審(一回乃至三回)に於ける控訴人本人尋問の結果によると、本件土地は当初耕作の目的を以つて賃貸せられたものであることが認められるから前記建物が賃貸人たる控訴人先代又は控訴人の承諾を得て建築せられたものであるか否やを考察する。先ず、第二目録記載(三)、(四)建物について、被控訴人等は二十五年又は三十年前控訴人の承諾を得て建築したものであると主張するが之を認めるに足る証拠はない。然し乍ら、(三)建物が昭和七年頃、(四)建物が昭和十二年頃被控訴人貫一に於て建築せられたものであることは控訴人に於ても之を認めるところであるから、その当時より以後前記売買契約当時まで約二十年の長き年月に亘り、被控訴人貫一は(三)、(四)建物の敷地部分を建物の敷地として占有し、他の土地と共に其の賃料を支払つて来たものであり、一方その間控訴人先代又は控訴人は、被控訴人貫一よりその賃料を受け取つて来たもので建物を建てたことに対して異議を述べた事蹟も存じないところから見れば、控訴人(又はその先代)は被控訴人貫一が(三)、(四)建物の敷地部分を建物の敷地として使用することを黙認していたものと推定するの外はない。従つて、此の部分に対し無断建築を理由とする賃貸借契約解除の請求は失当である。右(三)、(四)建物の敷地部分は当審検証の結果(二回)、鑑定人河田兼重の鑑定の結果によれば、別紙第三図面BHIJB(H点はBC線上Bより九間二分の地点、J点はBA線上Bより一間五分の地点、I点はHより西方へ四間八分、Jより南方へ九間の地点)を連結する地域であることが認められる。依て此の地域については、今なお控訴人と被控訴人貫一との間の賃貸借関係が存続しているものと言うべきであるから、控訴人が被控訴人貫一に対し(三)、(四)建物を収去し、その敷地の部分の明渡を求める請求は失当である。又被控訴人宅治は前記の通り此の部分に対し独立の占有を有するものではないから、同人に対し(三)、(四)建物の収去とその敷地の明渡を求める控訴人の請求も失当である。
次に、(一)建物について考察するに、原審並に当審(一回乃至三回)に於ける控訴人本人尋問の結果によれば、昭和二十一年十月頃当時その敷地部分は畑であつたのを被控訴人貫一は控訴人に無断で宅地にして(一)建物を建築したことが認められ、之に反する原審並に当審に於ける被控訴人本人尋問の結果は措信し難い。又(二)建物は本訴提起後建築せられたことは被控訴人等の明かに争わないところであり、被控訴人宅治所有の(一)建物の附属建物であるから被控訴人宅治に於て建築したものと推定すべきであり(五)建物は被控訴人貫一所有の(四)建物の附属建物であり(六)建物はその敷地の賃借人は被控訴人貫一であつたことにより、何れも被控訴人貫一に於て建築したものと推定すべきであるが、右(二)建物は被控訴人宅治に於てその敷地を使用すべき権限の存在につき何等の主張立証をしないものであり、(五)、(六)建物は本来耕作の目的にて賃貸せられた土地の上に建築せられたものであり、しかも建物収去土地明渡の訴訟繋属中に建築せられたものであるから、賃借人に於て特別に賃貸人の明示又は黙示の承諾の事実を立証しない限り、賃借人が賃貸人に無断で耕作地を宅地としてその上に右建物を建築したものと推定すべきである。本件に於てかかる明示又は黙示の承諾の事実を認むべき証拠はないから被控訴人貫一又は宅治に於て控訴人に無断で耕作地を宅地としてその上に右建物を建築したものと言うべきである。右の如く、耕作の目的を以つて畑地を賃借しながら賃貸人に無断で之を宅地となして建物を建築するのは賃借人として契約の趣旨に反し不法不信の行為と言うべきであるから、賃借人にかかる事実があるときは賃貸人は之を理由として土地賃貸借契約を解除することができると言うべきである。従つて、本件に於て控訴人は賃貸人たる被控訴人貫一の無断建築の不法不信行為を事由として本件賃貸土地中前記(三)、(四)建物の敷地部分を除きその全部につき((二)建物は前記の通り被控訴人宅治に於て無断建築したものと推定されるが、右建物の敷地は僅かに六坪であつて、被控訴人貫一の不信行為による契約解除の効果は当然此の部分にも及ぶ)賃貸借契約を解除することができるものと言うべきである。その範囲は別紙第三図面について言えばAGCHIJA点を連結する地域となる。依て、被控訴人貫一に対し右地域をその上に存する(一)、(二)、(五)、(六)建物を収去して明渡を求める控訴人の請求は正当である。此の部分の被控訴人宅治に対する請求については、被控訴人宅治は前記の通り(一)、(二)建物を所有するが、その敷地二十二坪五合六勺((一)建物の敷地一六坪五合六勺、(二)建物の敷地六坪)を占有すべき正当の権限のあることを認むべきものはないから、右建物を収去しその敷地を明渡すべき義務を負うも、その他の(五)、(六)建物については何等その所有者でもなく、被控訴人貫一の家族としてその敷地を占拠するに過ぎないから右、建物の収去及びその敷地部分の土地明渡の義務を負うものではない。依て、被控訴人宅治に対しては前記AGCHIJAを連結する地域内の建物を収去し、その敷地二十二坪五合六勺の明渡を求める限度に於て控訴人の請求は正当であるが、その余の建物の収去、土地明渡を求める請求は失当である。
以上を要するに、控訴人の建物収去土地明渡の請求については、被控訴人貫一に対し本件係争土地、別紙第三図面AGCBA連結する地域中AGCHIJAを連結する範囲の土地をその上に存在する別紙第二目録の建物中(一)、(二)、(五)、(六)の建物を収去して明渡を求め被控訴人宅治に対し右AGCHIJAを連結する範囲の土地内に存する(一)、(二)建物を収去し、その敷地二十二坪五合六勺の明渡を求める限度に於て控訴人の請求を正当として認容し、その他の請求は失当として棄却すべきものである。
次に、賃料相当額の損害金の請求について按ずるに、以上認定した如く、被控訴人貫一は前記AGCHIJA連結地域について賃貸借契約解除により以後右土地を不法に占有するものであり、その解除の効果の発生したのは控訴人が本件に於て賃貸借契約を解除したと認むべき訴状訂正申立書(昭和三十年二月二十一日付)が被控訴人貫一に到達した昭和三十年二月二十二日であるから、その翌日以降賃料相当の損害金を支払うべき義務があり、被控訴人宅治は前記AGCHIJA連結地域中(一)建物の敷地十六坪五合六勺については昭和二十一年十月頃被控訴人宅治名義を以つて建築せられたことが当事者間に争いないからその当時より同被控訴人等は右建物を所有するものと認むべく、従つて当時より何等の権限なくその敷地を占有するものであり、(二)建物の敷地六坪については被控訴人宅治に於て何時建築したか適確に之を認むべき証拠はないが、当審第二回検証の結果によれば、その当日なる昭和三十年六月二十四日には右建物が存在していたことが明かであるから少くとも夫れ以前に於て建築せられたものであり、従つて同日より何等の権限なくその敷地を占有するものと認むべきである。依て被控訴人宅治は(一)、(二)建物敷地につき各不法占有時より明渡迄賃料相当の損害金を支払うべき義務がある。その額について考察するに、控訴人は本件土地の賃料は一月一坪につき金五円であると主張するが、之を認むべき証拠はない。鑑定人前田慎吾の鑑定の結果によれば、本件宅地中四百十四番の二、四百二十五番の二、四百二十五番の五の三筆の土地(但し江南市役所の公簿面上四百十四番の二は二畝一歩、四百二十五番の二は二畝一歩、四百二十五番の五は九坪一合二勺として)の宅地としての地代家賃統制令による賃料は一年につき昭和二十五年八月一日より昭和二十七年十月三十一日までは夫々金二百九十五円六十八銭、金二百五十六円二十銭、金三十八円二十八銭であり、同年十一月一日より以降は夫々金四百四十三円五十二銭、金三百八十四円三十銭、金五十七円四十二銭であることが認められるところ、当審に於ける検証の結果によれば、被控訴人等が明渡義務を負う前記AGCHIJA連結地域は右四百二十四番の二、四百二十五番の二、四百二十五番の五の土地に包含せられていることは認められるが、その区劃は分明でないので、右三筆の平均賃料を以つて、右地域の賃料相当損害金となすべきものとする。前記鑑定賃料額によりその一坪当りの平均額を取れば、昭和二十五年八月一日より昭和二十七年十月三十一日までは一年金四円二十銭、同年十一月一日以降は一年金六円三十四銭となる。而して、右AGCHIJAを連結する地域の面積は鑑定人河田兼重の鑑定の結果によれば、約九十九坪であることが認められる。尤も、右鑑定は別紙第三目録図面K(G点より西方へ一間の地点)、L(A点より東方へ七尺四寸の地点)、J、I、C、G、Kを連結する地域を測量しその結果を九十九坪三合五勺と算出したのであり、AGCHIJAを連結する地域を測量したものではないが、右鑑定人作成の図面により両地域を比較すると、西方の一辺なるKL線、AG線が僅かに異るだけであり、しかもK点はG点の外方へ一間出てはいるが、L点はA点の内方へ六尺四寸入つている点から見るとAGCHIJA連結地域の面積はLKCHIJL連結地域の面積と大差はなく、僅かに大きいことが認められる。今その後者の面積を精確に算定する資料はないが、その損害金を算出する基礎としては被控訴人等に有利に解し、前者の面積と同様約九十九坪と認める。
従つて、被控訴人貫一はその不法占有地九十九坪につき賃貸借契約解除の効果が発生した日の翌日たる昭和三十年二月二十三日以降右AGCHIJA連結地域明渡迄は一年一坪につき金六円三十四銭の賃料相当損害金を支払うべき義務があり(その内(一)建物の敷地十六坪五合六勺右日時より、(二)建物の敷地六坪については被控訴人宅治がその占有を始めてから、同人と共同して不法占有するものであり、控訴人はその損害金の共同支払を求めるから此の部分については同人と共同して)、被控訴人宅治は被控訴人貫一と共同して右土地中(一)建物の敷地十六坪五合六勺につき、その不法占有後にして控訴人の求める昭和二十五年十二月一日以降昭和二十七年十月三十一日までは一年一坪金四円二十銭、同年十一月一日より右敷地明渡迄は金六円三十四銭の割合、(二)建物の敷地六坪については昭和三十年六月二十四日以降右敷地明渡迄は一年一坪金六円三十四銭の割合による各賃料相当損害金を支払うべき義務がある。依て控訴人の賃料損害金の請求については右の限度に於て正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきものである。
控訴人の請求を全部棄却した原判決は不当であるから之を取り消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第九十六条、第八十九条、第九十二条本文を適用し、主文の通り判決する。
(裁判長判事 北野孝一 判事 伊藤淳吉 吉田彰)
<以下省略>